万博記念公園 – 太陽の塔

下り通路

最上部からは別口の階段で下りていく。

壁には「芸術は呪術である」との強烈な一文から始まり、「”いのち”の塔」と題された太陽の都や生命の樹の制作に関する記録写真が展示されている。1967年から万博開催の1970年まで、どうやってこんな膨大な作業量をこなしたのか、俄に信じ難い。

後半は太陽の塔の内部公開に関する「再生の軌跡」。こちらもこちらで、並々ならぬ情熱と苦労の連続であったことが偲ばれ、非常に興味深い。通路に小パネルで掲げておくのは勿体無く、書籍化してほしいぐらいの物語性があった。

ミュージアムショップ

55年前のコンテンツパワーにすっかり気圧され、興奮のままに内部見学は終了。最後にミュージアムショップに立ち寄り、先日 に続いて太陽の塔グッズを買い漁る。

ここではステッカー3種、”座ることを拒否する椅子”の缶バッジ6種セット、傑作選フィギュア (ノン)、”犬”のポーチ、手ぬぐい2種、トートバッグを購入。狭い店内なので、自分はステッカーと手ぬぐいを1つずつ頼んで外で待っていたのだが、戻ってきた相方と我が子の手には、思いのほか色々なものが載っていた (笑)


午後は高山に向けたロングドライブのスケジュールが控えているため、名残惜しみながら万博記念公園を後にする。
園内では他に EXPO’70 パビリオン という記念館もあり、1970年当時に設置されていた「黄金の顔」が展示されている。非常に気になってはいたんだけど、こちらも回ると完全にタイムオーバーしてしまうので、今回は泣く泣く諦めることにした。

改めて思ったのは、やはり実物をこの目で観て良かったということ。今のアート界隈には無い、叩き付けるような情念とか執念といったものが感じられ、スルーすることを許さない恐ろしさがある。そして同時に、こんなものを作り上げてしまう当時の日本の勢いも凄まじい。これはこうして太陽の塔を目の当たりにするまで、湧いてこない感情だった。

そして、事前に 岡本太郎美術館 に行っておいたことも、結果的に良かったと思う。
予備知識無しでも魂を揺さぶる怪物のような作品だが、それが造られるに至った過程や時代背景を知ることで、氏のみならず携わった人々の熱量や、在りし日の我が国の姿まで思いを馳せることが出来た。

もっと早く観ておきたかったと思う反面、今だからこそ感じられるものも少なからずあったように思う。もう遅いなんてことは、決して無い。そして、我が家にとっては今こそが最適だった。

大阪〜彦根〜美濃〜高山ドライブ に続きます。