わたらせ渓谷鉄道

友人と2人、わたらせ渓谷鉄道 に乗りに行った。
北千住から東武線特急で1本、比較的行き易い駅からスタート出来るのがポイント。
個人的には複数の線を細かく乗り継いで行く方が雰囲気が出ると思いつつも、帰りが楽なのは十分に魅力的である。

ここは一昨年、学生の合宿に同行した帰りに寄ろうと思っていたところだったのだが、夏とは思えない異様な寒さのために断念していた経緯がある。
トロッコ列車 という特別車両があって、本当はこれに乗りたかったのだけど、運行日とタイミングが合わなかったので今回は通常の車両。

レンタサイクルで足尾エリア巡り

朝9時に新宿を出て、午後1時に終点の間藤着。当初はここから折り返して、七福神巡りをしながら温泉に立ち寄る算段だった。
降り立った間藤駅の工房でレンタサイクルを発見。ママチャリではなく、しっかりとしたマウンテンバイクだ。足尾を過ぎた辺りから銅山関係の廃屋が気になっていたこともあり、他の予定をキャンセルして自転車で散策することにした。

通洞~足尾~間藤は廃屋マニアには堪らないスポットで、山々に囲まれた渓谷の中に、打ち棄てられた工場がゴロゴロしている。
かつての隆盛の名残を留めた巨大な廃工場群。人が居るのか分からないような、崖下の家屋。使われなくなって久しいと思われる、単線のレールと高架橋。その1つ1つに思いを馳せながら、ひたすら緩やかな坂道を登る。
工房の方の話によれば、その先に 銅親水公園 があるはずである。

銅親水公園

坂を登り続けると、やがて左の視界が大きく開け、そこに銅親水公園が見えた。
公園と言っても大した遊具があるわけではなく、足尾砂防ダムから流れる川に沿って、水遊びが出来るように整地されているだけのもの。ただ、そこから更に少し進むと、役目を終えたと思しき採石場があり、立ち入り禁止の立て札も無いので気兼ね無く写真を撮ることが出来た。
熱中し過ぎて新調したカメラを砂利道に落としてしまい、やや焦る。

足尾のいまとむかし

汗ばむ身体を川の水で冷やし、帰りは下り坂を駆け下りる。
途中、道端で佇んでいた高齢のご婦人に話を伺う。俺の祖父母と同年代と思われるその方は、生まれも育ちも足尾。鉱山の隆盛も衰退も、すべてを目に焼き付けてきた。
採掘ラッシュで賑わった最盛期には、狭い山間の町に3万人が従事していたとのこと。今は緑の木々に覆われているこの渓谷も、当時は岩肌が剥き出しで、辺りには雑草1本生えていなかったらしい。驚くことに、これらの自然は全て、人力の植林活動によるものなのだそうだ。

我々の世代は、炭鉱というものを知らない。それがどのような背景の上に成り立っていたのか。どのような人達が携わっていたのか。そしてどのように忘れ去られていったのか。
そう、我々の日常の中では、炭鉱という存在は確実に忘れ去られゆく存在である。しかし、そこに今も留まり続ける人にとっては、それを忘れることなど出来るはずもない。

使われなくなった炭鉱というと、どちらかと言えば「負の象徴」として扱われることが多い。打ち捨てられた廃工場達はいかにも寂しげで、確かに明るいイメージとは掛け離れている。しかし、現地の人達にとって、それらは今も尚、思い出の場所であり、それらが消え行くことはただただ寂しいことなのではないだろうか。
聞いた話によれば、足尾銅山とその工場を後世に残そうという署名活動も展開されたらしい。ご婦人も寂しそうにしながら炭鉱を眺めていたけれど、当時の話をするときは、どこか楽しそうな表情に見えた。
ただただ憶えていてくれること、それも掛け替えの無い形の1つなのかもしれない。


礼を言ってその場を後にしてから、都内まで3時間。
この薄情なまでの短さこそ、我々が我々の現実に立ち返る貴重な手段である。
今回は足尾と鉱山の歴史についてはまったくの不勉強で訪れてしまったが、次の機会があるならば、もう少し視野を拡げておくことも必要だと思った。

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